こんばんは~´∀`)ノ)) HELLO♪
今回は、『憧れのにっぽん丸で初クルーズ。娘の旅行記ー2018.8月』番外編その③です。
憧れのにっぽん丸で初クルーズ。娘の旅行記ー2018.8月番外編③海に浮かぶ文化遺産、氷川丸をご紹介
皆さんは、山下公園に展示係留されている氷川丸をご存知でしたか?
私は、娘に氷川丸見学の話を聞いて、初めてその存在を知りましたョ(´∀`;A
凄く楽しかった。絶対見に行って(*^▽^*)ノ
と言うので、今度行ってみたいですね♪
日本郵船ー氷川丸 利用案内
・開館時間:10:00~17:00(入館16:30)
・休館日:月曜日(祝日の場合は、翌平日)臨時休館あり
・入館料:一般¥300/シニア¥200/小中高生¥100/福祉割引(+介護者1名)無料
・開館時間:10:00~17:00(入館16:30)
・休館日:月曜日(祝日の場合は、翌平日)/年末年始/臨時休館あり
・入館料:一般¥400/シニア中高生¥250/小学生以下.福祉割引(+介護者1名)無料
・日本郵船歴史博物館とのセット券:一般¥500/シニア中高生¥300
波乱万丈ー氷川丸の歴史
日本郵船は、現在の日本最大のクルーズ船『飛鳥Ⅱ』の船会社です。
その歴史は、三菱の創業者である岩崎彌太郎の創った”郵便汽船三菱会社”と、政府、三井、関西財界出資の”共同運輸会社”が、明治18年に合併し、”日本郵船会社”としてスタートしたのが始まりです。
戦前には、世界の船会社としての地位を築いた。昭和初期の豪華客船時代に、太平洋の女王と謳われた”浅間丸”をはじめとして、多くの船が造船され世界の航路で活躍しました。
第2次世界大戦によって、その多くの船は、人名とともに太平洋に消えてしまいました。
氷川丸は、豪華客船時代の1930年(昭和5年)にシアトル航路用に建造された貨客船です。
当時の最新鋭の船として誕生しました。戦前には、チャーリー・チャップリンなど、約1万人が乗船。
戦争中には海軍特設病院船となり、終戦までに3回も触雷しましたが、日本郵船の大型船では唯一沈没を免れたました。
戦後は貨客船に戻り、国内航路定期船、後に外航不定期船、シアトル・ニューヨークおよび欧州航路定期船、シアトル航路に復帰。
船齢30年に達し、1960年、シアトルーバンクーバーー神戸ー係留地横浜への航海を最後に引退しました。
太平洋横断254回、船客数は2万5千余名と大活躍した船です。
引退後は、横浜で多くの人々に親しまれ、2008年、「日本郵船氷川丸」としてリニューアルオープン。
2016年には重要文化財に指定されました。
この記事を書いている2018年には、氷川丸は88歳。
往時を偲ぶ貴重な文化遺産として、これからも大切に保存していきたいですね d(゚-^*)
竣工/建造所:1930年(昭和5年)/横浜船渠(株)(現 三菱重工業(株)横浜製作所)
全長/船幅:163.3m/20.12m
総トン数/スピード:11,622t/18.38ノット
船客:一等 79名/二等 69名/三等 138名/合計 286名
船内展示
船内案内図はこちら
客船エリアや船の運航に関わるエリアなど見学できます。
残念ながら写真は撮ってなかったので、持ち帰ったパンフレットから紹介しました。(´Д`|||)
もっと詳しく知りたい方は公式HPはこちらです
船好きな方は行ったことのある方も多いと思いますが、まだの方は機会があったら是非行ってみてくださいね♪
次回からは、この旅行で気づいたこと、調べたこと等レポートしていきます。
次回は『にっぽん丸の株主優待券とは?どうやって手に入れるの?』ですよ♪
《 To be continued 》 ((*´∀`*))ノ゛see you♪
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