こんばんは~´∀`)ノ)) HELLO♪
2017年10月に車椅子の父を連れて行った、北海道、道央のローカルエリアを巡る旅行記です。
古い旅行記なので、印象的な出来事だけピックアップしてます♪
この旅行記を最初から見たい方はこちらからどうぞ。
ぷろろーぐ。
マニアも満足?見どころ満載の三笠観光♪その①~車椅子の父とレンタカーで親孝行旅♪北海道-2017.10月・本編-9
写真の整理と、色々調べていたので投稿に時間がかかってしまいました。(ノД`)・゜・。
今回は、私が育った三笠市についてご紹介します。
北海道観光と言えば、札幌・小樽・函館は超有名。
ちょっと足を延ばしたとしても、帯広や富良野、旭川。網走、稚内…。
スキーヤーならニセコやトマムとか迄でしょうか?σ(´∀`me)??
本州や外国からの観光客は、よほどのマニアでも無ければ存在さえ知らない町。
それが三笠市。(ノ∀`)タハー
私にとっては、『うさぎ追いし かの山~♪』と、何もかもが懐かしい故郷ですが。
実は…廃墟・炭鉱遺跡・鉄道・化石・歴史・ローカルスキー場…。
と様々なマニアの方にとっても、とっても魅力的な町でした♪(´∀`*)ウフフ
クロフォード公園・三笠鉄道村三笠ゾーン
最初にご紹介するのは、旧三笠駅を整備したクロフォード公園です。
この公園と次に紹介する三笠鉄道記念館を併せて三笠鉄道村と言うそうです。
かつて私も…。
この駅から列車に乗って、岩見沢の高校に通っていました。
跨線橋には当時の面影があるような?(o゚-゚o)ン
形は同じだけど…こんな風情がある建物じゃなかったと思うけど。(´∀`;A
この公園の名前は、石炭輸送を目的とする幌内鉄道の建設を指導し、北海道にアメリカの鉄道技術を伝えたアメリカ人、ジョセフ・ユリー・クロフォードにちなんで名づけられました。
私は列車のことは良くわからにけど、この公園にもいくつか展示されています。
それに長い編成の列車とか。
三笠ー岩見沢でこんな長い列車には乗ったことがありませんけど?σ(´∀`me)??
でも、昭和62年7月12日運行の、最後の『さよなら列車』はこんな編成だったのかもしれませんね。(´-`)
三笠鉄道記念館・三笠鉄道村幌内ゾーン
クロフォード公園(旧三笠駅)から幌内へ。
鉄道村メインの、三笠鉄道記念館があります。
ここにはホント沢山の列車が展示されていますョ。おぉ(゚ロ゚屮)屮
何故こんな場所に鉄道記念館があるの?σ(´∀`me)??
と不思議に思う方もいるかと思います。
実は、この幌内鉄道(幌内ー小樽市手宮)が、北海道の鉄道発祥の地なのです。\_( ゚ロ゚)ここ重要!
しかも!
新橋ー横浜(明治5年)、神戸ー大阪ー京都(明治10年)、に続き全国でも3番目の鉄道として1882年(明治15年)に幌内鉄道が全線開通したそうな。∑(ノ)゚Д゚(ヾ)マジ!?
残念ながら昭和47年に旅客輸送を廃止しているので、私はこの駅から乗った事があっても記憶には残ってないの。(ノД`)トホホ
三笠鉄道記念館を見学した事はないけど、たぶん鉄道マニアの方は必見ですョ。(*^▽^*)ノオススメデスヨ
幌内炭鉱史跡
三笠鉄道記念館より更に山奥に行くと、幌内炭鉱の史跡があります。
北海道で近代炭鉱開発のスタートとなったのが、1879(明治12)年開鉱のこの幌内炭鉱です。
開鉱前の1875(明治8)年~1876(明治9)年に、黒田清隆・伊藤博文・山県有朋ら政府要人が次々と幌内を訪れ、全国3番目の鉄道が敷かれた事からわかるように、幌内炭鉱の開発は国家プロジェクトだったのです。
1960年代には全道出炭量は2000万トンを超え、炭質が良く埋蔵量も豊富であった石狩炭田は、それまで日本最大であった筑豊炭田の生産量を抜き、わが国最大の産炭地となりました。
1980年代に入ると、もはや石油に対抗できないことが決定的となり、生き残った炭鉱も段階的に閉山、およそ120年間にわたり、北海道の発展を牽引してきた空知の坑内堀り炭鉱は、1995(平成7)年の空知炭鉱閉山により姿を消しました。
『炭鉱(やま)の記憶』は、炭鉱なき後も私たちの暮らしの中に息づいています。新千歳空港から見える森は、かつて坑木用として植林されたものだったり、鉄道網、テレビ局、新千歳空港の滑走路、札幌のタクシー会社…など、今日の便利な生活は、石炭産業によってつくられた基盤によって支えられているのです。
また、炭鉱で使われた最先端技術は、今の時代にも様々に活用されています。例えば、石炭を掘る技術をトンネル掘削に活かしたり、地下の坑道へ鉱員を運ぶための高速エレベーターの技術が、現在の高層建築のエレベーターに活かされたりしています。
~そらち『炭鉱(やま)の記憶』ガイドマニュアルより引用
1989年(平成元年)閉山して以降荒れ果て、熊笹の生い茂る森の中にかつて繁栄した炭鉱の址がひっそりと佇んでいます。
数年前から炭鉱の記憶を後世に伝えようと、遊歩道や看板などが整備されるようになり。
一応散策できるようになっていました。
幌内炭鉱史跡の一番奥に変電所と幌内神社跡があります。
左上のレンガ造りの立派な建物が、変電所でした。
その横に幌内神社への入口があります。
小さい頃、年越しのお参りに毎年通った思い出の神社は、豪雪につぶれて倒壊してしまいました。 (TдT)
車を降りて神社跡へ登って行こうと思いましたが…。
写真右の幌内神社の杭のすぐ傍に、真新しい(きつねやタヌキではない)大きな動物の足跡があったので…。
そろーりそろりと、車に戻りました。ガタガタ(((゚Д゚)))ガタガタ
その事を兄に伝えると。
昔から熊の出る場所だから、大きな音を出しながら歩けば良いんだよ
散策する時は、賑やかにしてくださいね。(´Д`|||)マジキヲツケテ
そして、この神社にはたいそう立派な社号額がありましたが、それは歴史の教科書にも出てくる偉人、榎本武揚が書いたもの。
現在は、美唄市の峰延神社に保存されているそうです。
三笠モダンアートミュージアム
三笠鉄道記念館から幌内炭鉱史跡とは別の道を登っていくと、旧幌内中学校を再利用した三笠モダンアートミュージアムがあります。
私がこの学校に通ったのは小学校の時。(o゚-゚o)ン?
そう、当時この場所には幌内小学校がありました。
私が中学を卒業した後に、小学校と中学校の場所を入れ替えて、校舎も新しくしたのです。
以前建っていた小学校の校舎は、子供だったからか凄く大きく感じて、古くて迷路のようで。
ぽっちゃんトイレが沢山並んでるのが怖くて。
小さい頃の怖い夢には、必ず学校のトイレが出てきました。ヽ(´Д`;)ノ
三笠モダンアートミュージアムとなった校舎は、見学した方のブログなどを見ると、とてもきれいな様です。
かつて運動会をした思い出のグラウンドは、原野となっていました。
その校舎の入口に、何故か若山牧水の歌碑が。(o゜ー゜o)??
老いゆきてかへらぬものを父母の老いゆくすがた見守れよ子等 牧水
大正15年11月8日に幾春別に一泊、翌9日に幌内を訪れて歌会を開催し、幌内鉱に短歌2首を揮毫した。
後に、1首を幌内小学校(当時、幌内市街)に贈られた。
この歌は、牧水の歌集「黒松」に収められている。
今まで知りませんでしたが、旅人詩人の若山牧水さんも幌内を訪れていたんですね。(´-`) ヘー
他には、北海道初の大関、太刀光電右衛門が幌内出身だとか…。
地域ゆかりの芸術家の展示などが見られますョ。
長くなり過ぎたので残りは次回に。
次回は、三笠観光その②です。
《 To be continued 》 ((*´∀`*))ノ゛see you♪
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